トビイ ルツのTraveling Mind

失われた?10年

先日、取材で一緒になった年下の仕事仲間のフォトグラファーと「失われた10年」の話をしていました。

以前、ブログに書いたことですが、デジカメや携帯電話で撮影したものの、プリントアウトされないまま、データもいつのまにか失われてしまった写真が、世の中に過去10年で何枚あるのだろう。人々は某大な量の想い出を失ってしまったかもしれない...といった話。

この話をすると、今まで「ああ、そうだね」と、何となく悲しい気持ちで眉をひそめる人が多かったのですが、今回は違った反応に、はっとしました。

「でも、デジカメや携帯で気軽に撮影できるようになった分、撮られた写真の数も圧倒的に増えているんですよ。その分、楽しみも増えたじゃないですか」

考えてみれば、デジカメの登場で、想い出の写真を携帯電話で気軽に仲間同士で送りあったり、HPやブログに公開したり、プリントしなくても、持ち歩いているカメラの画面ですぐ人に見せることもできるようになったのです。
個人の想い出は失われておらず、拡散して人々の中に半永久的に残る場合もあるでしょう。もちろん、最後のプロセスまで行かなくても「撮影する」という行為自体を楽しむ場合だってあるのです。

改めて思ったのは、「本質」を見失ってはいけないな、ということ。世代もあるのでしょうが、信じてしまってました。想い出の写真はプリントしてアルバムに大切にしまっておき、時々とりだしてしみじみ眺めるのが流儀、写真はもちろんセピア色じゃなくっちゃね!くらいに。(爆)
しかし、つまるところ、残したい想い出は、紙であれ、データであれ、心の中であれ、ちゃんと鮮明でいつでも取り出せればよいのです。なぜなら、プリントしてもどこにしまったかわからない写真がいったい、何枚あることか(笑)。

書籍の印刷物vs電子書籍の葛藤しかり、本や雑誌を読む/見る側は、インクで刷られた文字や写真であろうが、データのドット画面であろうが、選ぶ方は、書き手や表現者のいわんとせん「本質」がきちんと受け取れると思えば、どちらを選んでもいいのです。

写真家の彼とは、その後、デジカメ撮影が主流になって以来、プロでも写真表現の質が二極化しているという話をしました。もちろん、見極める目がなければ、普通に観る分にはわかりません。

表現の世界に限らず、最近、ますます「本質」や「本物」を見極める力について考え、鍛える方法を探っています。誰にとっても究極的に大切と思いますが、個人的ながらヒントも集まってきたので、話の続きはまた今度。



by rutsu_tobii | 2010-10-01 11:08 | カルチャー

トビイ ルツ|TOBII & RUTSU「ペン一本でどこでも行ける」生活に憧れるイラストレーター&モノ書きです
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